<社説>ボクシング世界王者 比嘉伝説の始まりだ 「不屈の闘志」県民に勇気


この記事を書いた人 琉球新報社

 沖縄の若者が新たな金字塔を打ち立てた。世界ボクシング評議会(WBC)フライ級で、比嘉大吾選手(21)=浦添市出身、宮古工業高出、白井・具志堅スポーツジム=が前王者のフアン・エルナンデス選手(30)=メキシコ=を破り、県出身として25年ぶりとなる正規王者に就いた。

 序盤の劣勢を不屈の闘志ではね返した姿は、師である具志堅用高さんを思い出させる。比嘉選手も「(具志堅)会長のような偉大なチャンピオンになりたい」と語った。王座奪取は通過点だ。新たな伝説を紡ごうとする若武者の勝利は、ボクシング王国復活への期待と同時に県民に勇気を与えた。

離島のハンディない

 栄冠をつかんだ比嘉選手の才能と努力には最大の賛辞を贈りたい。同時にその才能を開花させ、後押しした多くの人々も同じようにたたえたい。
 比嘉選手は浦添市で生まれた。父親が仕事をしていた宮古に移住し、宮古工業高で競技を始めた。
 同校外部コーチの知念健次さんは全国高校総体の覇者でプロ経験もある。飲食店を営みながら選手を育てた。比嘉選手も現在につながる技術はもちろん、宮古で言う「アララガマ魂」(負けてたまるかという気概)も学んだだろう。
 離島県の沖縄では、宮古や八重山、本島周辺離島の子どもたちは高校進学、あるいは大学進学などで多くが故郷を離れる。特にスポーツでは、どうしても競争する環境が整わず、限界を感じる場面もある。
 比嘉選手の勝利から学んだのは、現在培っていることが将来花開くためのステップだということだ。自らの力を蓄える期間だと思えば、離島のハンディはないに等しい。努力は未来へつながるものであり、離島など場所にこだわらないことを教えてくれた。
 比嘉選手の姿は県内、特に離島の子どもたちに勇気を与えただろう。それはスポーツに限らず、離島からでも世界に通用する技と心が身に付けられるからだ。
 さらにボクシング史上に名を残す具志堅さんとの師弟の絆も大事だ。
 高校時代、全国大会で目立った戦績のない比嘉選手をスカウトし、育て上げた具志堅さんの手腕も見事だった。
 比嘉選手を「カンムリワシ2世」と呼ぶ声もある。本人も師への尊敬の念から「カンムリワシないん(になる)」と話したが、実績を積み重ね、13回も王座を守った師を超えることも恩返しだ。「2世」の呼び名が返上される日を楽しみに待ちたい。

王国復活に期待

 県出身のボクシング世界王者は比嘉選手を含め正規・暫定王者合わせて9人目となった。1970年代後半から、次々と県出身者がリングを沸かせ、高校総体や国体で多くの選手が輝きを放った。
 ボクシング王国と言われた当時に比べ、現在の状況は物足りないと感じるファンも多いだろう。だが今春、高校を卒業した大湾硫斗選手(美来工科高出)ら後に続く若手も具志堅ジムにはいる。王国復活の可能性は十分にある。
 ボクシングで県出身者の活躍はこれまでも県民を勇気付けてきた。具志堅さんが世界ボクシング殿堂入りした時、芥川賞作家の大城立裕さんは、近代100年の劣等感をはねのける基礎を固めたのが具志堅さんだと指摘した。それは沖縄の精神文化を築き上げる過程とも重なり「普遍的な実力をつけてこそアイデンティティーが育つ」とも語っていた。
 復帰から45年、劣等感こそなくなったが、基地問題などで沖縄への構造的差別は依然として残る。県民が主体的に未来を決めるアイデンティティーの確立が改めて必要とされる時代だ。
 世界戦まで何度も「沖縄のため」と繰り返した比嘉選手の志に学びたい。王国復活はボクシングに限らない。多くの分野で若者が沖縄の、故郷へのプライドを胸に新たな時代を築き上げてほしい。