<社説>東日本大震災7年 教訓忘れず受け継ごう


この記事を書いた人 琉球新報社

 きょうで東日本大震災から7年がたった。死者は約1万6千人、行方不明者は2500人を超える。依然として約7万3千人が全国各地で避難生活を余儀なくされている。

 さまざまな復興が進んだかにみえるが、行方の分からない人、ふるさとに戻れない人々の多さに、傷跡の大きさを思い知る。甚大な被害を生んだ震災の教訓をどう受け継ぎ、未来に生かしていけるのか。これからも問い続けなければならない。
 岩手、宮城、福島の3県によると、避難している人々の体調悪化などによる震災関連死は約3600人で、現在も増え続けている。その一方で、被災者の移転先の一つとなる災害公営住宅の整備が進む。
 だが災害公営住宅に1人で暮らし、死亡しているのが見つかった孤独死も昨年1年間だけで少なくとも54人に上る。コミュニティーの形成など、暮らしの再建に向けた課題も多い。
 避難者約7万3千人のうち約5万人が福島県の住民だ。福島第1原発事故による影響が大きいことが分かる。
 避難指示が昨年春に一部で解除された福島県の4町村のうち、富岡町と浪江町の住民の約半数が帰還しない意向を示したことが復興庁の調査で判明した。両町とも「原発の安全性に不安」が約40%、「放射線量が低下せず不安」が約30%あった。戻りたくても戻れないのだ。
 福島第1原発の廃炉に向けた取り組みはようやく足掛かりを得たにすぎない。東電は今年1月、2号機内で溶け落ちた核燃料(デブリ)の状態をカメラで直接確認した。政府と東京電力は2019年度にデブリを取り出す最初の原発と詳細な工法を決める。
 デブリ取り出しは1979年に炉心溶融事故を起こした米スリーマイルアイランド原発で先例はある。この事故は1基だけで圧力容器に大きな損傷はなく、デブリは内部にとどまっていた。
 しかし福島第1原発はデブリが圧力容器を突き破って格納容器の下まで落ちたとみられている。人類が経験したことのない未知の領域への挑戦となり、今後もさまざまな困難が待ち受けるだろう。
 東電が事故後、農畜産業者や商工業者、被災住民らに支払った賠償金は2月23日時点で約7兆9900億円に上る。当然の賠償額だが、あまりにも膨大な金額だ。
 事故は収束していない。むしろ時間の経過とともに、直面する課題はより複雑化している。原発が安全ではなく、コストも割安ではなく、安定的でもないことを学んだ7年だった。世論の過半が脱原発を求めているのは当然ではないか。
 被災者はいまだ癒えない心の傷を抱えたまま、狂わされた人生を立て直そうと歩み続けている。忘れてはいけない。風化させてはいけない。沖縄からも支援を続けたい。