校歌探訪 竹富町立上原小学校


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎

 竹富町西表島で戦前、多くの石炭を産出していた西表炭坑。竹富町立上原小学校は、その一つの宇多良炭坑を経営していた丸三鉱業従業員が、その子弟のために設立した私学校「みどり学園」の流れをひく。1949年9月に八重山民政府(当時)から西表小学校浦内分校として認可され、公立学校として産声を上げた。現在地には82年に移転。校歌は旧校地時代の52年につくられた。
 2番で歌われる「石の炭掘る 山々や」「宝庫は尽きず」の歌詞で、炭鉱業が盛んだった地域の歴史を描く。校舎の周囲にフヨウの花が咲き誇っていた当時の光景は「ふようの花の 咲きにおう」(1番冒頭)と歌う。現校舎の周囲にも、移転当時に保護者らが植栽したフヨウの花が木々の間から姿をのぞかせる。
 西表西部の船浦・上原・中野・住吉・浦内の5集落で校区が構成される上原小学校。一時は30人ほどまで減少した児童数も、島外からの移住者やUターン者の増加で、来年度には90人ほどにまで回復するという。