『沖縄の戦世―県民は如何にしてスパイになりしか』 「ヘイト」につながる「スパイ」


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『沖縄の戦世―県民は如何にしてスパイになりしか』池間一武著 琉球プロジェクト・1800円+税

 結論を先に言おう。著者はこう書いている。

 「スパイはいたのか?」の答えは、無論「いなかった」である。しかし、「スパイ」と難くせをつけられ、数多くの住民虐殺が行われたのが沖縄戦の実相である―。

 著者は平和ガイドとして住民虐殺の現場を巡り、新聞記者時代に培ったフットワークと取材力で「守備軍」であったはずの「軍隊は住民を守らなかった」ことを浮き彫りにする。

 日本軍による住民虐殺は当時、沖縄各地で頻発した。渡嘉敷島や久米島では、無条件降伏を告げる「玉音放送」以後に起きている。殺害の理由は「敵への内通」、つまりスパイ行為とされた。軍はその方針である「防諜」を一方的に拡大解釈し、「スパイ」にでっち上げた。

 沖縄戦を戦った日本軍、第32軍は創設・配備された1944年春以降、飛行場建設を急ぎ、住民を大動員した。このため住民から軍事機密が漏洩(ろうえい)することを極度に警戒した。司令官は着任時に「防諜(ぼうちょう)に厳に注意すべし」と訓示し、米軍が沖縄本島に上陸した直後には「爾今軍人軍属とを問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間諜(スパイのこと)とみなし処分す」と全軍に命令した。

 標準語の強制。これは、「廃琉置県」(1879年)以後、日本政府が沖縄住民に課した皇民化教育の根幹をなすものだ。沖縄固有の言葉、習俗を遅れたものとする視線は、偏見と差別に満ちていた。1922年に沖縄連隊区司令部が沖縄出身者の「兵卒教育に資する」ことを目的にまとめた報告書では、「皇室国体に関する観念徹底しあらず」「優柔不断」など14もの資質を短所として列挙し、「服従心に富む」「従順なり」の二つだけを長所とした。沖縄戦のはるか前から日本軍は沖縄住民を信頼していなかったことになる。こうした目は戦後、払拭(ふっしょく)されたのであろうか。

 「反日」のレッテル貼りなど昨今の沖縄へのヘイトは、偏見と差別に基づいた「スパイ」視を想起させる。こうした妄想、悪意の連鎖を断ち切るためにも、著者が行間に込めた憤りを感じ取らなければなるまい。(藤原健・本紙客員編集委員)

………………………………………………………………

 いけま・かずたけ 1948年平良市(現宮古島市)生まれ。琉球大学法文学部卒業後、1976年に琉球新報社に入社し、社会部、政経部、編集委員などを歴任。著書に『復帰世代に伝えたい「アメリカ世」に沖縄が経験したこと』など。