上原当美子さん死去 元学徒、戦争愚かさ訴え 90歳


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 沖縄戦にひめゆり学徒として動員され、戦後は平和の語り部を務めた上原当美子さん(享年90)が5月22日に亡くなった。生前の講話で「自然災害は人間の手で止めることはできないけど戦争は止められる」と語っていた上原さん。亡くなる3カ月前まで、ひめゆり平和祈念資料館で平和の語り部として活動し、最後まで戦争の愚かさや平和の尊さを伝え続けた。

 上原さんは沖縄師範学校女子部の3年時に沖縄戦に動員された。戦時中は陸軍病院壕(南風原町)で負傷兵の看護に当たり、戦況の悪化で本島南部へ撤退命令が下った後は多くの学友の死を目の当たりにした。

 戦後、教師として教壇に立ち、退職後はひめゆり平和祈念資料館の創設時から語り部として活動したほか、小学校などで積極的に体験を講演した。

 上原さんは生前、琉球新報の取材に「戦争を起こした人も人間だが、起こさないようにするのもまた人間。体験者として戦争の本当の恐ろしさ、残酷さを知らせる義務がある」と語っていた。

 上原さんはことし2月、資料館に当番で訪れた2日後、病に倒れ、治療を続けていた。長女の金城美智子さん(64)によると、最後は家族に見守られて亡くなった。遺影には帽子をかぶり、笑顔が輝いていた73歳の時の写真が使われたという。

 同資料館の普天間朝佳館長は上原さんが最後に資料館を訪れた際、昼食を一緒にとり、帰りには手を振って見送った。普天間さんは「上原さんは自然と周囲を笑いに誘ってくれる人柄だった。また、積極的に戦争体験を伝えることが生き残った者としての使命だと思っていた。講話で伝える内容も分かりやすく共感を得ていた」と語った。同級生だった同資料館前館長の島袋淑子さん(90)は「寂しいけれど、若い人たちがしっかり資料館を守ってくれているから心配しないでね」と冥福を祈った。