『帰る家もなく』 心の眼で見続ける


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『帰る家もなく』与那原恵著 ボーダーインク・1944円

 「足跡はどこへ続いているんだろう」私達はいつでも、この問いに戻って来る気がする―与那原恵著『帰る家もなく』を読み終えて、一番に持った思いだ。四部構成のこのエッセー集には、どこの、どの時代においても、ままならないものの中に懸命に生きてきた人々が居、その営みが今の私達に繋(つな)がっているという当たり前の事の驚きと尊さが、丁寧に、記されている。

 著名人や旅先で出会った人々の話も多いけれど、一番胸打たれたのはやはり著者自身と、その家族にまつわる物語だ。スリーイー(EEE)という幅広の靴を履き、自らも病弱ながら病身の妻と5人の子を養った父の生き様(ざま)。戦争前夜の父と母を結んだ手紙。絵描きである大叔父と彼をとりまく芸術家達の苦悩と奔放…。読み進めるにつれ、歴史というものは一人ひとりの記憶の連なりで、歴史は記憶を生き直すことで物語となる、という思いを強くする。そこには与那原さんの心の眼が見た風景が映し出されているのだ。

 彼女が7、8歳頃に持ったという感情―「じぶんという存在の不思議さに気付くと同時に、さみしさを知った(…)胸の底で、ずん、というこわい音が聞こえだした(…)」。全ては変わってゆくし、私達はしっかりと地面から生え出たような絶対の支えなど持ち得ないという事実を少女の直感が捉えていたのだろう。その不安が記憶という物語を通じた人間の繋がりを求めさせるのは自然な事だ。しかし心の眼でものを見続けるというのは容易な事ではない。怠惰ではなく、眼差(まなざ)しはともすれば溶け出す氷のように表面を滑りながら消えてしまう。まるで何事もなかったかのように。けれど確かな支えを持たない私達は、それでも何かを留めておきたいと願うものではないか。

 与那原さんがここに紡いで見せた物語一つひとつが私達に思い出させてくれるものは大きい筈(はず)だ。スリーイーの足跡が「遠くまでつづいている」砂浜で、私達の後ろに今この瞬間にも生まれ続けている足跡がどこに続いているかは誰も知る事が出来ないのだし、その意味では誰にとっても帰る家はどこにもないのだから。

 (山原みどり・作家、詩人)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 よなはら・けい ノンフィクション作家。1958年東京都生まれ。著書に『美麗島まで』『サウス・トゥ・サウス』など。『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で第2回河合隼雄学芸賞と第14回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。

 

与那原恵 著
四六判 336頁

¥1800(税抜き)