『文学批評の音域と思想』 「普遍」と「全体」希求する批評精神


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『文学批評の音域と思想』平敷武蕉著 出版舎Mugen・3800円+税

文学批評の音域と思想

 この浩瀚(こうかん)な書物がもたらす感銘の根源は明白だ。人が生きる現実と遊離した表現の欺瞞(ぎまん)や、“脱イデオロギー”を装っての権力への迎合に対しての、透徹した批判―。それは「沖縄」を掘り下げながら、だからこそ普遍的な世界へと通底し、「文学」を狭く自己完結させず、歴史・社会の全体性に向けて解き放とうとする。

 「基地問題として突出する現実と、ファシズム化の道を暴走するかに見える日本の状況と対峙(たいじ)」(あとがき)する営みは当然、本来、贖罪の上に共有されるべき問題への、ヤマト側のおぞましい鈍感さを克明に照射せずにはおかない。その一方、沖縄の主体性を掲げつつ、ヤマトに無防備に回収されかねない二重基準的な事大主義にも、慎重な楔(くさび)が打ち込まれる。
 小説はじめ、いま沖縄の地で成果を挙げつつある言語表現への目配りに満ちた力編の数々を貫くのは「文学は政治的現実を媒介することなしには主題や内容を深めることはできない」とする著者の揺るぎない認識である。「歌人の集い」の報告が直ちに辺野古ゲート前座り込みの意味へと展開し、短詩型の制度性から新城貞夫の短歌に至り着くダイナミックスは、そうした特質をよく示すものだろう。その批評眼は、例えば少女たちの矯正施設での俳句指導から生まれた秀吟「思い出の母渦巻いて老いていく」をも見逃さない。
 そんな本書の白眉(はくび)が、川満信一「琉球共和社会憲法C私(試)案」をめぐる沖縄内外の反応への、粘り強い異議である。「現行憲法さえ(略)どんどん形骸化されていくというのに(略)今の日本の国をどうにかする力を作らないと本質的解決にならない」と戒める著者は、実は誰より(と、あえて記す)切実に「理念」を希求している。だが同時に、現実の度し難さと乖離(かいり)する「理念」の危うさに、真摯(しんし)に傷ついている。
 論考の多くは、近年、俳誌「天荒」・文芸誌「非世界」に発表されてきたもの。巻末に置かれた「高村光太郎論」と掌篇(しょうへん)小説「海の記憶」のみ、旧作とのことだが、尖鋭な原則主義的精神の生成過程を知る上で味わい深い。(山口泉・作家)
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 へしき・ぶしょう 1945年、うるま市生まれ。68年、琉球大国文科卒。2005年、評論集「文学批評は成り立つか」発刊(第3回銀河系俳句大賞受賞)、07年評論集「沖縄からの文学批評 思想と批評の現在」発刊。13年、「『野ざらし延男論』序説」で第41回新俳句人連盟賞(評論)受賞。